西岡常一棟梁の遺徳を偲ぶ 〔2008年9月4日、生誕100年〕
 


斑鳩の里の匠(たくみ):〔84分➠10分〕

これは西岡常一棟梁の遺言状である。
西岡常一棟梁は明治41(1908)年、法隆寺大工の家に生まれました。昭和9(1934)年から始まる法隆寺大修理の最初から携わり、金堂・五重塔が完成するまで棟梁として修理に従事した。
木造建築の技術は建ったまま見ても分からない。
解体修理をすることによって、隅から隅まで知ることができる。しかし、平安時代までの名建築の大部分は、明治・大正年間に解体修理が済み、未修理のものは法隆寺を残すだけだった。
西岡棟梁はこの千載一隅の好機に際会した。
非凡な才能と飽くことのない研究心で、飛鳥・奈良建築の技術の真髄を身をもって習得した。この点において彼の右に出る棟梁はいない。
昭和42(1967)年、薬師寺復興の議が興ったとき、太田博太郎東京大学名誉教授はためらうことなく西岡棟梁を推挙した。「薬師寺金堂を復元する大工はこの人以外にない」と。
平成4(1992)年、文化功労者の栄に輝いたときにも、体調を崩して上京できなかった。
自分の会得した木造建築技法の真髄を、広く後世に残しておきたい。文字では表せない精神も技術も、ビデオでなら目と耳を通じて学びとってもらえる。この切なる願いは、今回の『西岡常一 社寺建築講座』として実現できた。
これによって西岡常一棟梁は永遠に生きる。